中央大学剣友会

中央大学剣友会
 

続 44年卒同期会

海野先輩(44卒)から情報をご提供いただき
2011年7月16日(土)に開催された同期会をご紹介させていただきました。

会場となった 大分県湯布院山水館 での様子はこちら

高槻は設立100周年の準備に携わったことがきっかけとなり
ここに写っていらっしゃる44年卒の先輩の多くを存じ上げている・・・
というのがちょっとした自慢でもありますが
本橋行雄先輩が昨年の4月に亡くなられ、残念な別れも経験しました。

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生前の金野憲昭先輩(H17没)には、一度もお会いできませんでした。

故金野先輩が、「斌徳 第四号 (平成元年発行)」に執筆された
「あの頃のこと ~学園紛争と、換気扇と~ 」 は
100周年記念誌「斌徳」の別冊(A4判・平成20年発行)でご紹介しましたが

実は「斌徳 第三号 (昭和54年発行)」にも名文を遺されています。
記念誌編集時、どちらを載せようか悩みました。

44年卒同期会開催に合わせ、その「斌徳 第三号」の名文をココでご紹介。
キラキラした目で学生時代の思い出を語ってくださるOBに会うと
きっと生前の故金野先輩も、キラキラした目をしていたんだろうなぁと想像します。

(略)

試合に臨む際、私は、学生時代にあの熾烈な校内予選に勝ち残り、たった一度だけ選手となった時に着用した「中大」のゼッケンを現在の「トヨタ」のゼッケンの下に着けることにしている。このことを知る者は誰もいないが、これが私の試合度胸の要因であることは間違いない。

確かに私は、かつて「中大」の選手であった。二年生の秋以来、常に参加百名を越す校内予選でベスト8に入りながらも選手となれず、ようやく最終学年の、それも秋になってただ一回きりであるが、私にとっては大学入試以上の難関を突破し、公式戦における名門中大剣道部選手の座に座ったことが、確かにあった。

大学生活の四年間には、青春時代に共通の悩みにも出会ったし、折からの学園紛争にも無関心ではおられなかった。私なりに人生経験も積んだし、どうにか卒業できる程度ではあるが学びもした。しかし、何といっても私の大学生活の根幹をなしていたものは剣道であったと今でも思っている。

中大の剣道部員として四年間を過ごした者であれば、誰でもそれなりの自信を持ってそれ以後の人生に挑戦していると思う。また、選手となることのみが大学剣道の目的であると考えるものはあるまい。しかし、振り返ってみれば、私にとって選手の座とはまさに四年間の猛稽古、いや大学生活そのものの成果であり、その証としての「中大」のゼッケンであるのだ。それが現在の社会人としての剣道に対する自信、もっと大袈裟に言えば人生に対する自信の根底をなしていると言っても良いだろう。

私の剣道はまだまだ未熟である。大学時代の修行の程度にしても、其道に志す多くの人から見れば決して自慢できる程のものではあるまい。それでも私は、白門剣士のはしくれであると自負し、中大で修業しました、と言えることを実に誇らしく思っている。


・・・以上、タイトルは「白門剣士のはしくれ」。
一般生として入部された故金野先輩が、卒業後約10年を経て書かれたものです。

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44卒集合写真。故金野先輩は、最後列左から2番目。その右側が故本橋先輩。
ご提供いただいたのは海野先輩ですが、記念誌の別冊P46に、故金野先輩の文章とともに掲載させていただきました。

故中倉先生生誕100年

今日、立ち読みした某剣道雑誌に、この写真を見つけました。
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・・・一昨年に発行した、記念誌別冊で紹介した写真ですね。
カラーだと雰囲気が違いますので再掲載しました。
昭和53年の北海道札幌市の夏合宿でのワンシーンです。

過去の夏合宿の地一覧はこちら

この写真から32年後の今年は、12回目の北海道合宿です。

その雑誌に掲載された津村師範の言葉を読み進んでいくうちに
今年は故中倉先生の生誕100年であることを知りました。
そっか、そういう年だったのか!

過去の「斌徳」を探し、先生の思い出を近日中に掲載したいと思います。

昭和53年全日本優勝

ボツ写真特集…ではなく、
これは100周年記念誌(2008年発行)に掲載された写真です。
7回目の全日本優勝を飾った、昭和53年10月22日の記念写真。しかし…
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(写真提供:剣道時代)

  ↑これです、これ。

この時の優勝を記録した写真がなぜかほとんど発掘できず
これも雑誌社のご厚意により提供いただいたものです。
写真の先輩方、今も面影があるのでお分かりかと思いますが…

第26回優勝メンバー
渡部憲雄、遠藤寛弘、西郷哲哉、小松寛、禰宜田昌彦(四年)
清水新二、木下俊一(三年)、福崎基夫(二年)、穂園元孝(一年) (敬称略)

なお、この優勝を記念して、故高木部長書による
かの有名な「木鶏」(ぼっけい)の面タオルが作成されました。
________________________________

木鶏に似たり     荘子(達生篇)

見たところ、木でつくった鶏のようだ。
敵意をもたないものに対しては、これに反抗する敵はない。
無心で他に対することが、万事を処理し、困難に打ち勝つ最上の方法で
あることのたとえ。

紀省子という男が王のために闘鶏を育てていた。
闘鶏を訓練し始めて十日ののち、王が紀省子にもうだいじょうぶか、ときいた。
紀省子は、まだ鶏は虚勢をはっているからだめだ、という。
また十日してきくと、まだ相手の動きに心を動かすところがあるからだめだ、という。
さらに十日たってきくと、もうよろしいでしょう、と答えた。
そのときの闘鶏のようすが、ちょうど木鶏のようであった。
これを見てどんな相手でもこれと闘う気力を失い、逃げ出してしまった、
というのである。

斌徳第三号(昭和54年発行)より
________________________________

横綱の双葉山が69連勝の後に破れたとき
「未だ木鶏たりえず」と打電したというのは伝説的に語られているそうです。
そうか、この言葉、故高木部長にとっては特別な言葉だったのですね。

偶然ここに、幼き日の故高木部長を見つけました。
立浪部屋の歴史


歿年月日である、平成12年の2月10日のことはよく覚えています。
もう10年、経ちました。


合宿の地は今…「愛媛」

一年ぶりに愛媛県松山市を訪問する機会がありました。
 昨年の愛媛合宿の様子は こちら や こちら

愛媛県武道館の周辺は、紅葉が色付きかけ
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いろいろな体育施設がある広大な公園はスポーツの秋真っ盛り
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運動広場では坊っちゃんとマドンナを迎えて
マラソン大会が開催されていました。
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平成14年にプロ野球オールスターゲームが開催された
坊っちゃんスタジアム(左)と
平成16年に東西対抗が開催された愛媛県武道館(右)
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 この時、宮崎正裕師範代が出場され、
 松本伸二先輩(62卒)のお兄様である松本政司先生(香川)と対戦されました。

こちらは愛媛県武道館から少し離れた観光地、山の上にある松山城。
紅葉がきれいでした。昨夏、観光した学生もいるかな?
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11月29日(日)、NHKで、松山を舞台とした歴史小説「坂の上の雲」が
スタートしました。そういえば昨年11月2日の錬成大会でも
坊っちゃんから参加者に絵はがきをいただきましたね(左)↓
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 右は、松山城近くの坂の上の雲ミュージアムで売っていた「坂の上の雲まんじゅう」


故中平琢也先輩(平成4年卒・享年32歳)のお墓参りにも行きました。
ふもとにみかん園が広がり、
お墓からは瀬戸内海が見渡せる静かなところに眠っていました。
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20年ぶりの再会だったので、少し長めに、いろんな報告をしてきました。

あれから一年経ちました2

昨年11月2日の練成大会の記事は こちら や こちら でご紹介しましたが
この練成大会を見学に来られた小野先輩(40卒)が沢山の写真を撮って送って
くださいました。ここでは小野先輩の写真をご紹介します。

優秀立合い表彰となった依田先輩(38卒)と津村先輩(39卒)の立ち合い。
津村先輩(師範弟)はカナダから帰国されての参加でした。
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往年の名勝負が再現される様子を真剣に見つめる先輩方。
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立ち合い終了後は、数十年ぶりに剣を交えた先輩もいた、稽古会。
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稽古会終了後、黙とうの前に整列。
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昭和卒と、平成卒で分かれました。手前が平成卒のOB。
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見学にいらっしゃった先輩方。
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優秀立ち合い表彰。ツムラの「道後の湯」を手に記念写真を撮りました。
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あれから一年経ちました1

一年前の11月1日(土)、東京都千代田区九段北にあるアルカディア市ヶ谷
にて中央大学剣道部設立100周年(創部115周年)記念式典及び祝賀会
が盛大に開催されました。

式典の記事は こちら あるいは こちら に掲載しましたが、今回は
平石先輩(59卒)が撮影してくださった写真をメインに掲載しています↓

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司会は吉田先輩(42卒)、「柳家小団治」先輩が引き受けてくださいました。
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会場のあちこちで、数十年ぶりの再会がありました。
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左から36年卒の岩崎先輩、小西先輩、常光先輩、35年卒の渡辺先輩

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40~43年卒の先輩方

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52~56年卒の先輩方

ボツ写真特集6(昭和56年)

昨年11月1日の記念式典で配布したのは、
20年ぶりの発行となった「斌徳」(フトク)だけではありません。
このようなDVDを覚えていらっしゃいますか。
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( お手元になく、希望される先輩は、ご連絡ください → chuo_kendo@infoseek.jp )

ひょっとして「斌徳」を読んで胸いっぱいになり、このDVDの存在を
忘れていらっしゃる先輩もいるのではないでしょうか。
ここには「斌徳」に掲載しなかった写真も多く収蔵されています。

これは今から27年前の昭和56年10月18日、八回目の全日本優勝を決めた直後。
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相手は早稲田。副将戦まで二対一でリードを許していたが
大将の轟木主将が逆転の二本勝ちを収めた瞬間、
あふれる歓喜の涙を止められなかった。 
ただただ轟木に、穂園に、石本に、江川に抱きつき言葉にならなかった。
俺たちの代を代表して戦ってくれた、俺も一緒に戦った、
そんな思いだった。選手で出場した者も、そうでなかった者も、
皆あふれんばかりの笑顔と涙を忘れることができない。
(記念誌別冊P77より抜粋)

記録によると、この時のメンバーは下記の通り。
 轟木(四年)、穂園(四年)、江川(四年)、石本(四年)、了戒(三年)、大河内(三年)
 片江明博(二年)、片江豊(一年)、大崎(一年) (敬称略)

なおこの日から26年後の昨年11月1日、高槻は式典の二次会で
これらの年代の先輩方とご一緒させていただきました。

優勝の夜も、こうやって、神田節がいつまでもいつまでも歌われていたはず。
皿を持って踊る轟木先輩。
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絶好調で香川県民謡「金毘羅船々(こんぴらふねふね)」を踊る大河内先輩(左)。
最短で八段に合格されました。了戒先輩の姿も見えます。
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「いつまで経っても一年生」 黙々と水割りを作る大崎先輩。
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上の、記念誌の文章を書いてくださった辻村先輩の軽やかなステップ。
四半世紀ぶりに復活、「RYDEEN」。
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早すぎてついていけませんでした…YouTubeで聴く場合はこちら 

式典を感動のエールで締めて下さった沼田先輩。
見事なエールは健在でした。
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式典でのエールはこちら(YouTubeの動画です)↓
パソコン使用環境により、画像が表示されないことがあります。
その場合、下記URLからご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=9eWmGGafOYo

 応援歌の背景画像は、最も最近の全日本優勝(平成6年)

この瞬間、会場にいたすべての先輩が、
中大剣道部員だった誇りに顔が輝いていました。

…早いですね。あれから一年経ちました。
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11月7日は、大河内先輩や穂園先輩にもお会いできるので楽しみです。

ボツ写真特集5(昭和63年)

昨年発行した、
設立100周年記念誌、なんと20年ぶりの発行となった「斌徳」(フトク)、
隅から隅まで読んでいただけたでしょうか。
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(まだお手元になく、希望される先輩は、ご連絡ください → chuo_kendo@infoseek.jp)

先輩方から沢山の写真をお借りしましたが、すべてを掲載することはできません
でした。そこで、諸事情により掲載できなかった写真をここでご紹介します。

今回は、昭和天皇の病状悪化で列島が自粛ムードにあった昭和63年。
剣道部の80周年の式典も、「自粛」のため、翌年に延期となりました。
そんな地味で目立たない年に、実は団体三冠を獲り、日中明・法中と併せて
五冠を達成したことが、80周年の記念誌「斌徳」に記録されています。
この年の全日本優勝後、故高木先生は「随所為主」の言葉を選ばれました。
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これは四冠目の、法中戦。10月8日のことでした。
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場所は中大剣道場。古い、木の名札が見えます。
昨年、先輩方の寄附金によって、新しい名札に差し替わりました。

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後ろで椅子に座って高井田(4年)の試合を見つめているのは
上西助監督(当時・45卒)ですね。

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この日の副将戦、神田(4年)vs若尾(法政)。

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なお、この日の先々鋒と次鋒は、21年後の今年8月、大阪で再会しました。

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あの頃、まだ少年だった米田君は、東西対抗にも選出される中堅剣士となり
また、母校九州学院を率いてインターハイで優勝するような、立派な指導者
になっていました。
次の再会を楽しみにしています。

_______________________________

9月13日(日) 第55回全日本東西対抗剣道大会組み合わせ(抜粋)

         西軍                 東軍
27将  米田敏郎・熊本(H4年卒) - 鍋山隆弘・茨城(筑波大学OB)

他の先輩方の組み合わせはこちら

合宿の地は今…「洞爺湖」

そろそろ合宿の話題を耳にするようになりました。
過去の合宿地一覧はこちら

5月に北海道の洞爺湖に行く機会があり、当時の記憶をたどってみました。
(高槻は昭和61年の最後の洞爺湖合宿経験者なので、24年ぶり!)

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↑晴れると、湖の向こうに、雪を抱いた羊蹄山(蝦夷富士)をのぞみます。絶景!

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↑中日にこの白鳥に乗って、こぎ疲れてしまった先輩がいたような…

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↑4つの島からなる中島をめぐる遊覧船がありました。

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↑夕暮れの洞爺湖。
  1978年の泥流災害犠牲者の鎮魂の意を込めた彫刻作品です。
  
うーん、でも覚えてないなぁ…洞爺湖合宿で覚えているのは湖畔の花火。
毎晩毎晩、花火がとてもきれいだったことと、バスで移動した、体育館。

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↑中日の観光のメインは、バスで10分のところにある昭和新山。
 有珠山ロープウェイと熊牧場をご記憶の先輩も多いはず。 

でもわたしはお金もなかったし、
疲れていたから少しでも横になりたかったし、
そして何より、寸劇の台詞を覚えるのに必死だったし、中日はどこにも行かず。
今回が初めての昭和新山訪問となりました。

寸劇はよく覚えています。故下田敏幸先輩(63年卒)と同じ班でした。
下田先輩が観てきたばかりの映画「天国の駅」(主演:吉永小百合)を台本に
シリアスな演技を要求される羽目に。 
なんてったって吉永小百合の役だしね…

深夜におよぶ厳しい稽古の甲斐あって、見事、我々の班が優勝。
レギュラークラスの先輩が、照明や音響といった裏方に徹して下さいました。
女性の死刑囚という難しい役柄ながら(日中の稽古よりキツかった)
迫真の演技により観客の涙を誘って主演女優賞を受賞したワタシは(←自慢)
下田先輩が卒業するまでずっと、その時の芸名(タマエ)で呼んでいただきました。
まさか、卒業されてから一度もお会いできないままお別れすることになるとは
夢にも思わず…。平成17年1月、故郷の熊本で急逝、享年39歳。
八代東高校でインターハイ、玉竜旗、国体を制し
中大でも新人戦(2年次)、関東(3年次)、全日本(2年次)と
団体タイトルを総なめにされた昭和最後の中大主将、故下田先輩の笑顔は
記念誌別冊に掲載されています。


あの時代、「木鶏」の一発芸で勝とうなんて、思わなかったよなぁ・・・ けしからん
(注:剣道時代6月号 「京都から…(下) 山下忠典」をご参照ください)

ボツ写真特集4

設立100周年記念誌、なんと20年ぶりの発行となった「斌徳」(フトク)、
隅から隅まで読んでいただけたでしょうか。
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先輩方から沢山の写真をお借りしましたが、すべてを掲載することはできません
でした。そこで、諸事情により掲載できなかった写真をここでご紹介します。

今回は故矢上先輩(昭和36年卒)の奥様とお嬢様にお借りした写真です。

これは昭和33年、第6回全日本学生剣道優勝大会での優勝の写真。
中大としては、3回目の優勝でした。
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背景の「お買物は阪急百貨店」という看板と「シャープ」の垂れ幕が気になります。
これは…大阪ですね!

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記録によると、この時のメンバーは下記の通り。
  平田栄治、下野開康(四年)、故笹生達浩、熊谷一義、小池彦太郎(三年)
  宮田秀昭、島津治義、故矢上德(二年)、津村耕作(一年) (敬称略)


次に、同じ昭和33年の 「岡谷合宿」 だそうです。
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大きくして見る場合はこちらをクリック

矢上先輩の写真は全部掲載したかったなぁ! 
アルバムを何冊もお借りすることができて、貴重な写真が多くて、
どの写真も掲載したくて、すごく悩みました。
結果的に、「斌徳 別冊」で12ページにわたって紹介させていただきましたが
まだまだ、こんなにいい写真があったのです。

もうじき、故矢上先輩の一周忌を迎えます。
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(昨年、お嬢様からお送りいただいた写真です)

あらためて、ご冥福をお祈りいたします。

ボツ写真特集3

設立100周年記念誌、なんと20年ぶりの発行となった「斌徳」(フトク)、
隅から隅まで読んでいただけたでしょうか。
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先輩方から沢山の写真をお借りしましたが、すべてを掲載することはできません
でした。そこで、諸事情により掲載できなかった写真をここでご紹介します。

今回も、川畑先輩(46卒)にご提供いただいた写真です。
まず最初は、昭和42年の小倉合宿ではないかと思うのですが…どうでしょうか?
右が、当時大学1年の川畑先輩。頭が坊主ですもんね。

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↑この均整のとれた肉体美、誰だか分かりますか?   (回答は後ろに)

次の2枚は、昭和45年の洞爺湖合宿の前後ではないかと…
中山先輩、澤近先輩、蒲原先輩、原田先輩などが写っています。
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大きくして見る場合はこちらをクリック


森進一の「襟裳岬」が発売、映画化されたのは昭和49年。
今は日本人なら誰でも知ってる観光地で、歌碑も立っていますが、
当時はおそらく、静かな観光地だったのでは(推測)。

川畑先輩には、本当に沢山の写真をご提供いただきました。感謝です。

昭和42年と45年の思い出 はこちら
昭和44年~49年卒の先輩方が写った写真 はこちら

・・・すいません、まだ高槻がまだ写真現物を持っています。
ここで紹介し終わったら早く返さなくてはいけません(北九州に持参します)。


*最初の写真は若き日の上西先輩(左・45年卒)です。 絶対、分からないですよね

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「斌徳」他記念品一式がお手元に届いていない先輩はご連絡ください。在庫あります。

●メールで連絡する場合のアドレス chuo_kendo@infoseek.jp (高槻まで)

コメント機能もご利用ください↓(すぐには公開されないようになっています)

ボツ写真特集2

設立100周年記念誌、なんと20年ぶりの発行となった「斌徳」(フトク)、
隅から隅まで読んでいただけたでしょうか。

先輩方から沢山の写真をお借りしましたが、すべてを掲載することは
できませんでした。そこで、諸事情により掲載できなかった写真を
ここでご紹介します。

今回は昭和51年10月11日、関東大会で準優勝した時の写真。
・・・いや、優勝できなかった時の写真というべきか。
詳しい事情は「斌徳」P179にある
「副主将の思い出」(昭和53年卒 N尾先輩)をご覧ください。

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記録によると、この時のメンバーは下記の通り。合ってるでしょうか。
  猿渡英輔、内原博文、田原徹、寺岡巧、生地志朗(4年)
  太田進也、中尾勝頼(3年)、渡部憲雄、遠藤寛弘(2年)  (敬称略)

写真に書いてある文章は
「優勢に試合を進めながら専大に惜敗し、17年ぶりの優勝を逃した中大選手」

原稿と一緒に、N尾先輩にご提供いただきましたが
残念ながら画質等の事情で記念誌には掲載できませんでした。
これもこのまま手元に持っておくのは惜しい写真なので公開させていただきます。
当時を思い出して、懐かしい思い出に浸っていただけると幸いです。

なお2年後の昭和53年、中大は9年ぶりに全日本優勝。
昭和56年にも全日本優勝。 (…これ以降全日本優勝が続くので詳細は略す)

津村師範が「斌徳」巻頭にて思い出を語られている通り、
昭和52年4月にお迎えした故中倉師範の厳しい「練り稽古」の賜物
であったことは言うまでもありません。

また昭和34年以来、関東大会での優勝がなかった中大ですが、
これから10年後の昭和61年9月21日に27年ぶりの優勝を遂げました。
この時の様子は、「斌徳 別冊」P95と96にある、中山睦友先輩(62卒)の寄稿を
ご参照ください。

ボツ写真特集1

設立100周年記念誌、なんと20年ぶりの発行となった「斌徳」(フトク)、
隅から隅まで読んでいただけたでしょうか。

先輩方から沢山の写真をお借りしましたが、すべてを掲載することは
できませんでした。そこで、諸事情により掲載できなかった写真を
ここでご紹介します。(許される範囲で・・・)

まず第一弾。昭和41年頃の写真と思われます。
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あれ、O先輩、大丈夫ですか?

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これは、石神井ですね。ちょっと、具合が悪そうです。

川畑先輩(昭和46年卒)にご提供いただきましたこれらの写真、
妙に既視感があるのはワタシだけではないはず。

既視感とは・・・その体験を「よく知っている」という感覚だけでなく、「確かに見た覚えがあるが、
いつ、どこでのことか思い出せない」というような違和感。いやぁ、いつだっけなぁ…昭和か…


●「まだ斌徳が手元に届かない」という先輩はご連絡ください。
   メールでの連絡先 chuo_kendo@infoseek.jp

昭和55年卒

記念誌編集の際に、先輩方より多くの写真をお借りしましたが
紙面の都合上、すべての写真を掲載することができませんでした。
ここでは、記念誌に掲載できなかった写真をご紹介します。

まず大河原先輩経由で、太田好美先輩にご提供いただいた
昭和55年卒の先輩方の写真です。約30年前の写真になります。

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おっと、これは寮での松崎先輩ですね↓
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そうそう、高木先生は寸劇が大好きで、
例え「いじわるじいさん」役であろうと積極的に熱演してくださいました↓
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そしてこちらは25年後、清水先輩の八段昇段パーティに集まった
「足立学園三羽がらす」であります↓
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記念誌別冊の「55年卒同期の頁」では、
関東女子個人戦第三位の実力者、太田好美先輩の爆笑原稿と、
ご提供いただいた写真を紹介しています。
どうぞお楽しみに。

昭和49年法中戦

このHPでは、先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介
しています。今回は、柏木先輩(昭和50年卒)にお借りした、昭和49年の法中戦。
なんと、警視庁武道館で開催されています。
高槻が在学中、警視庁武道館へ足を運ぶ機会は一度もありませんでした。

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大きく見るにはこちら

9月15日に開催されているので、関東大会の直前でしょうか。
前列、秋吉先輩の隣にいらっしゃる、法政大学の半田先輩とは、
この年の5月に関東個人戦を制した半田明先輩と思われます。
また、合宿にも参加した、モロッコからの留学生らしき女性も写っています。
今は、どうされているんでしょうか。

残念ながら、この写真は、記念誌ではご紹介できませんでした。
懐かしい先輩も沢山いらっしゃると思いますが、なにとぞご了承願います。
是非このHPでお楽しみください。

昭和56年全日本優勝

このHPでは、先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介
しています。今回は、星先輩(60年卒)にお借りした、8回目の全日本優勝を遂げた
後の記念写真です(昭和56年撮影)。

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大きく見るにはこちら

わたしが今回の編集作業を通じて知る限り、優勝後に、選手以外の部員も
一緒に、このように記念写真を撮った例を知りません。この時だけ?では
ないでしょうか。もしそうだとしたら、非常に貴重な写真と思われます。
昭和57年卒から60年卒(一番後ろ)の先輩が写っていらっしゃいます。


(付録)この年の関東大会3位入賞メンバーはこちら

(付録)28年後の、60年卒の先輩方の写真はこちら

(付録)部旗を持つ、星徳継(平成2年卒)13歳。かわいかったんだね!
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昭和34年~36年の剣道部

このHPでは、先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介
しています。今回は、河村先輩(昭和38年卒)にお借りした写真です。

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昭和34年撮影
中大剣道部第2合宿所前(第2合宿所と第1合宿所の違いは記念誌別冊にて)。
左から河村、中西(37卒)、佐野(38卒)、古庄(37卒)、宮川(36卒)、
宮田(36卒)、北村(和)(37卒)、町田(37卒)、安田(38卒)(敬称略)

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昭和36年撮影
これは貴重!いわゆる「夏季全員合宿」の第一回目、宮城県仙台市、
陸上自衛隊内でのワンシーンですね。

そして、今も昔も、合宿の後は試合シーズンです。
これは、仙台での合宿の後、第9回の全日本団体戦(昭和36年11月4日)。
前年度優勝なので、返還するカップなどを持っています。東京体育館にて。

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プラカードを持つのが河村先輩、その次が原口主将(37卒)。
以降、小川、矢野、古庄、津村(37)、加賀美、池田(38)、本多(39)、中倉(40)
の各選手が続きます。この時は、残念ながら、準優勝でした。(敬称略)

他にも、洞爺湖畔にたたずむ北島先生の写真をご送付いただきました。
これは記念誌で公開させていただきます。どうぞお楽しみに。

故矢上先輩の写真より

このHPでは、先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介
しています。今回は、7月に逝去された故矢上徳先輩(昭和36年卒)が保管されて
いた写真です。先輩は、昭和35年の全日本優勝メンバーでいらっしゃいました。

これは、石神井の「梅乃井」で開催された合宿所送別会。
剣道部時代に、よく見ました、こういうシーン。
まるでつい最近撮った写真のようですが、約50年前のものです。
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これは背広姿です。矢上先輩が卒業前の送別会のようです。
「田吾作にて」と書いてあります。
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「できあがりました。みんなで書いた勝手な落書き」(アルバムのコメントより)


これは、「中央大学剣道部」と書いた門の横に立つ、故矢上先輩。
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この時代の写真は少ないので、とても貴重です。
記念誌別冊のほうで、お借りした写真の何枚かを紹介したいと思います。
なお、写真のご提供にご協力いただいた奥様とお嬢様に心よりお礼を申し上げ、
また、偉大な大先輩のご冥福をあらためてお祈りいたします。

同期の頁(昭和49年~56年卒)

先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。
ちょうど夏合宿の前、ということで、夏合宿での写真と思われるものを抜粋しました。

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これは、昭和48年の高野山。
昭和49年から52年卒の先輩方が写っていらっしゃいます。


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これもおそらく高野山。昭和50年で、当時4年生の先輩方です。

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同じく昭和50年。当時1年、2年の先輩方です。
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これは撮影地がはっきりしませんが、おそらく、昭和53年の北海道合宿
ではないかと思われます。ご記憶の先輩は、ぜひコメントからお知らせください。
(お名前はすぐには表示されません)
昭和54年から56年卒の先輩方です。
故岡田先輩(当時3年)、故中原先輩(当時2年)のお姿もあります。

中大史上初めてとなる愛媛松山合宿が、18日(月)から、日本武道館や東京武道館
と並ぶ、日本最大級の 【愛媛武道館】 で開催されます。
日本最古の湯、道後温泉と合わせて是非、ご来松ください。

森の都(「斌徳」復刊一号より)

昭和37年卒の原口先輩よりいただいた原稿から、1973年(昭和48年)
11月の大洋デパート火災(熊本)で、従業員だった剣道部の先輩、
一門幹郎先輩(済々黌高校出身)が亡くなられたということを知りました。
享年34歳。故一門先輩は、昭和37年2月に発行された「斌徳」復刊一号
に、次のような詩を遺されました。卒業を前に、書かれたようです。

森の都   商学部四年 一門 幹郎

 熊本は森の都
 樹々は緑の葉を付けて
 路行く人に笑みかけん
 紅染めし絵羽織の美しき人あり
 菊にも似たる静かさは
 樹々の間に消えいかん

 熊本は森の都
 幾星霜老い松の山並みに
 若者の声響きたり
 日傘さしたる絵姿の可憐な人あり
 白蓮に似たる清らさは
 遠き人となり行かん

 熊本は森の都
 雄々しき影の銀杏城に
 遠き昔を唱いたる

『彼がかつて斌徳に寄せた作詩「水の都」は
 水清き郷里熊本の風情を彷彿させて、強く胸を打つ』
 <原口先輩の記念誌原稿より抜粋>

100年を振り返る中で、心豊かだった先輩や、同期を思いやる慈愛に
満ちた先輩の存在を知ることができること、とても光栄に思います。

同期の頁(昭和52年九州遠征)

剣道部設立100周年記念誌「第五号斌徳」の原稿は締め切ら
せていただきましたが、別冊の制作を引き続き行っています。
今回は、昭和53年卒の「同期の頁」に使用予定の写真です。

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昭和52年3月。
九州新幹線のなかったこの時代、福岡、鹿児島、大分など、各地
を転戦したハードなこの遠征に、中倉師範が鹿児島から合流され
ました(写真中央)。
この遠征での中大剣道部員の武勇伝は数知れず。
詳細は、20年後の斌徳にて??

同期の頁(昭和44年~49年卒)

先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は川畑先輩(昭和46年卒)の写真、第二弾。
昭和44年卒から49年卒の先輩方です。

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昭和44年卒の先輩方  大きくして見る場合はこちらをクリック

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昭和45年、46年卒の先輩方  大きくして見る場合はこちらをクリック
懐かしい赤電話に時代を感じます。
中腰になられているのは、故杉本石英(旧姓:安部)先輩です。

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昭和46年卒の先輩方  大きくして見る場合はこちらをクリック

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津村監督(当時)と昭和47、48年卒の先輩方  大きくして見る場合はこちらをクリック
一之瀬先輩、佐々木先輩、横尾先輩、原田先輩、澤近先輩、
松永先輩などの顔が見えます。部旗を持っていらっしゃるのは、柴原先輩です。

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青山寮監と昭和46、47、48、49年卒の先輩方  大きくして見る場合はこちらをクリック

写真をご提供いただいた川畑先輩↓ありがとうございました。
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昭和43年の高野山合宿ではないか…と推測しましたが、どうでしょうか?

昭和42年~45年の思い出

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、川畑先輩(昭和46年卒)が送って下さった写真をご紹介します。
まず上の写真、後ろに立っている人は、垂れネームが何とか判読できます。
「林田」 「蒲原」 「山崎」 「井上(?)」 「萬歳(?)」 「上西」 「宇田」 「川畑」
…といったお名前があります。間違っていたらご容赦願います。
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画像を大きくして見る場合はココをクリック

↑ひとり女性が写っていますが、最初の女子部員、故湯沢先輩ではないでしょうか。
この写真は昭和42年8月30日に撮影されたものですが、2年後の昭和44年11月9日、全日本女子学生剣道選手権大会で3位に入賞されました。
この時の様子は、安ケ平先輩が、記念誌に寄稿してくださっています。
ちなみにこの年の優勝者は、桑原選手(のちの川添夫人)でした。

次の写真は、昭和45年9月15日。第三回法中戦の写真です。
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画像を大きくして見る場合はココをクリック

後ろの試合結果ですが、名前を記念に持ち帰ったらしく、全員の名前は見ることができません。法政の大将の渡辺選手は、おそらくこの3ヶ月前に全日本学生剣道選手権大会で2位になった渡辺隆選手。
ちなみにこの年の優勝者は、日大の久保木優選手(現在日大の監督)でした。

先輩にご提供いただいた写真から、中大の歴史だけでなく、
剣道界の歴史をも振り返ることができるというのは、誇らしいことです。

同期の頁(平成18年卒)

今回は、平成18年に卒業された先輩方をご紹介します。
これは、記念誌の、同期の頁用にいただいた写真です。明るい笑顔がいいですね。

なお、同期の頁制作に関するお問い合わせは高槻(平成元年卒)まで。
    ↓
 chuo_kendo@infoseek.jp

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平成14年8月 北海道合宿にて同期全員集合。当時、1年生。
  ↓
3年半経って…
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平成18年3月 送別会にて。4年間、がんばりました!

(写真掲載にご協力いただき、ありがとうございました)

23年前の全日本個人戦優勝

いよいよ今週末は、全日本学生選手権が大阪で開催されます。
今から23年前、同じく大阪で、中山睦友先輩(当時3年生)が優勝しました。
記念誌用にいただいた原稿ですが、今年出場する4名の学生の健闘を祈り
ここで紹介させていただきます。

全日本学生選手権優勝を振り返って    中山睦友(昭和62年卒)

たまたま、全日本学生選手権で優勝という経験をさせて頂きましたが、その勝利へのドラマは人それぞれなんだなと感じたのが、この個人戦でした。
1985年7月7日は、前日の6日から、20数年経っても忘れられない思い出が数多く残っております。高級鉄板焼きにコルドンブルーに蕁麻疹(じんましん)に、本当に大変な2日間であったと…

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昭和35年11月20日全日本優勝

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

第8回 全日本学生剣道優勝大会
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後列左から、宮田先輩、故矢上先輩、津村部長、故須郷先生
加賀美先輩、池田先輩、依田先輩、本多先輩
前列が原口先輩と小川先輩。

また、下の写真は、依田先輩(昭和38年卒)にお借りした、
同じ日の写真です。
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依田先輩、どうもありがとうございました。


第8回優勝メンバー(敬称略)
宮田秀昭(4年)、矢上徳(4年)、
津村耕作(3年)、原口博美(3年)、小川五十雄(3年)、
加賀美昇(2年)、池田宇一(2年)、依田育憲(2年)、
本多直彦(1年)

(平成元年の「斌徳 第四号」より)

同期の頁(58年~61年卒)

先輩方から、続々と写真をいただいております。

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昭和55年 全日本個人戦出場のために大阪へ出発される先輩へ
        東京駅でエールを贈る沼田先輩

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昭和56年 全日本優勝後にエールを贈る沼田先輩
        (…なんで2年も連続してエール?)

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昭和58年卒と、59年卒の先輩方

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昭和59年卒と、60年卒の先輩方

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昭和60年 全日本優勝直後の津村監督(当時)と4年生。
        学生服からブレザーに替わって、初めての優勝でした。

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昭和61年3月 卒業式 前日の雪が残り、肌寒かったことを覚えています。

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昭和61年3月 卒業式 この頃の中大は11号館(総合政策学部)もなく
          正門からヒルトップ(食堂)まで見渡せました。

夏合宿の地

記念誌編集の関係で、過去の夏合宿の地を調べてみました。

昭和36年  仙台(陸上自衛隊内)
昭和37年  新潟妙高
昭和38年  和歌山 高野山  
昭和39年  福島 会津若松
昭和40年  和歌山 高野山
昭和41年  北海道 洞爺湖
昭和42年  北九州 小倉
昭和43年  和歌山 高野山
昭和44年  (なし・大学紛争でロックアウト)
昭和45年  北海道 洞爺湖
昭和46年  和歌山 高野山
昭和47年  秋田
昭和48年  和歌山 高野山
昭和49年  北海道 洞爺湖
昭和50年  和歌山 高野山
昭和51年  岩手 二戸
昭和52年  和歌山 高野山
昭和53年  北海道 札幌市内
昭和54年  和歌山 高野山
昭和55年  秋田 市内
昭和56年  和歌山 高野山
昭和57年  北海道 札幌市内
昭和58年  和歌山 高野山
昭和59年  新潟 
昭和60年  和歌山 高野山
昭和61年  北海道 洞爺湖
昭和62年  熊本 阿蘇
昭和63年  秋田 市内
平成1年  和歌山 高野山
平成2年  北海道 夕張
平成3年  熊本 阿蘇
平成4年  新潟 妙高高原
平成5年  秋田
平成6年  北海道
平成7年  熊本 阿蘇
平成8年  栃木 鹿沼
平成9年  新潟 妙高高原
平成10年  北海道 北広島市竹原高原温泉
平成11年  熊本 阿蘇
平成12年  山梨
平成13年  岡山 大原町
平成14年  北海道
平成15年  熊本 阿蘇
平成16年  山梨 川口湖
平成17年  熊本
平成18年  北海道
平成19年  大阪
平成20年  愛媛 松山(愛媛県武道館)
平成21年  熊本
平成22年  北海道

同期の頁(昭和40年卒)

剣道部設立100周年を記念して発行する記念誌には「同期の頁」を制作予定です。
(以前も、平成6年卒の「同期の頁」をご紹介しました)

ちょうど今、原稿を書いている先輩もいらっしゃると思いますので、ご執筆いただいた先輩にご了承をいただき、昭和40年卒「同期の頁」をご紹介させていただきます。

なお、実際のページのイメージは、こんな感じ(PDF)です。

中央大学剣道部100周年(創部115周年)に寄せて 青山 旭(昭和40年卒)

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 先ずは、中央大学剣道部設立100周年(創部115周年)ご同慶の至りでございます。我々(昭和40年卒)の同期剣友は30名居ましたが、今年(平成20年)迄に5名の同期を失っている(柿沼・竹尾・宮崎・清水・鍋島)。彼らは学生時代それぞれの思い出を残してくれた。亡くなったことは、大変残念な思いであるが、きっと彼らも天国で100周年を祝っていることと思う。冥福を祈るのみである。合掌。
 入学時同期生の内13名が石神井公園近くの合宿所で共同生活をしていた。当時は先輩方が一人二人と民家を借り、何時の日からか定かではないが

『中央大学剣道部合宿所』

の看板を掲げた。大家さんの栗原さんは合宿所の前にお住まいで、学生の田舎から何か送ってくると、合宿所の玄関にあった小さな黒板に名前を書いていただいた。
 我々一年生は、皆田舎出身者ばかりで、合宿所の先輩には九州の方々が多かった。合宿所の会話を聞いていると、まるで九州弁が標準語のようであった。
 当時の四年生に現在の部長である津村耕作先輩が居られた。学生剣道界で赫々たる戦歴を残し、インカレで最多優勝をして居た中央大学に入学してきた一年生は、合宿所生活での先輩はさぞ厳しいものと思っていたが、先輩方は優しい方ばかりで、特に四年生の先輩は、我々一年生のよき手本になって頂いた。我々も四年生に成ったら、今の四年生のような先輩になろうと機会ある度に話をしていた。また当時、合宿所で寮歌(東の男、西の子の剣持ち集う武蔵野に……)を創ったり、ハワイアンブームの時で、津村部長の弟さんである守人先輩がエレキギターやらウクレレを何処からか調達して来られ、一年生~四年生何れかの趣味の会に入り、夜な夜な練習をし、又、津村兄弟による漫才も度々聞かせていただき、腹を抱えて笑った楽しい合宿所生活でした。反面当時悪い風習であった合宿所生と他の部員の間で一線を画くような風潮があったように思いますが、同じ中央大学剣道部員としてそのような事はあってはならないと、中倉主将を中心に話し合ってきたのも事実です。
 我々同期の中には学生時代、個人的な戦歴を残した者は居ないが、全日本学生団体戦では準優勝・優勝・第三位を経験し、良き思い出になっている。卒業後、それぞれの道に進んだ同期の中には、学員体育会・学連の重鎮として今現在大活躍している松原・林君が居り、また一般に難関と云われる司法試験(弁護士)・公認会計士・技術士・不動産鑑定士・税理士試験に合格し、第一線で活躍している者もいる。実業界へ進んだ者はもう退職者が多く、それぞれ悠々自適の生活をしているが、今なお事業意欲盛んな者もおり、今年(平成20)中国で『日本のふぐ料理店』を開店する者もいる。
 又同期の横の繋がりはどの学年よりも緊密で、自信を持って誇れる。そして同期の結束を一層固める為に、四年に一度(オリンピックの年)各地で同期会を開催しようとの声が上がり、第一回を日本列島のほぼ中心に位置する愛知県にしようということになり、当時の部長であった北島先生と監督であった須郷先生をお迎えして、第一回目の同期会を26名で開催した。以後四年に一度ずつ開催してきたが、何時の会からか二年毎の開催となり、二年先輩と一年後輩の方々と一緒に開催する事になり、現在に至っている。
 最後になりましたが、大学の部生活の中で、北島先生より度々訓話を頂きました。
北島先生曰く、

「大学四年間の部生活は、
これからの長い人生から見ればごくわずかな期間ではあるが、
その間に培った先輩・後輩・同期生の良き関係を
生涯にわたって続けて、初めて
中央大学剣道部に在籍した意義がある」

と言われました。学生時代は何も感じなかったが、65歳になった今日は、それが中央大学の剣道部の良き伝統かと思っている。

台湾遠征レポート

先日ご紹介した井上先輩(平成6年卒)の台湾遠征記に続き、現役学生からも、原稿を受け取りましたので、ここでご紹介させていただきます。これも100年の歴史のひとつとして、記念誌に掲載予定です。

台湾遠征レポート 主務 深町真

 私達中央大学剣道部は、今年3月6日~9日に、3泊4日の日程で台湾遠征を行いました。メンバーはスタッフ4名、学生31名、白石、山下、井上の3名の先輩方を加えた総勢38名でした。私は主務として、1月頃から旅行会社の方、スタッフと協力しながら準備を進めてきました。部員にとって、また私にとっても例年行っている夏合宿等とは異なり、初めての海外遠征ということで不安もありましたが、何とか全員無事に日本を発つことができました。

 今回の行程として、初日はタワー101や衛兵交代式などを見学しました。衛兵交代式では、「もし失敗したら洗いだな」などと剣道部流の解釈をしながら、衛兵の一挙一動に見入っていました。2日目は林家花園、故宮博物館、行天宮を観光し、夜は台湾チームとの試合及び飲み会へ。私達は「剣道でも酒でも勝つ」の言葉通りに、主将大亀を筆頭に台湾チームを撃破しました。そして3日目、皆思っていたよりも元気で、淡江大学に到着。しかし、ここで誰もが予想していなかった「追い込み」をすることに。勿論一人残らず、ばてていました。そして2日目と同じく試合及び飲み会へ。皆、本当に美味しい料理とお酒を頂ました。最終日は龍山寺での観光を終え、ショッピングを済ませ台北を発ちました。22時前には寮に到着し、私達の遠征は幕を閉じました。

 今回の台湾遠征を通して、私は
「スポーツを通して文化の交流を行うことの大切さ、そして素晴らしさ」
を感じました。国内での遠征では得ることのできない物が多くあったと思います。台湾の方々は皆親切で、試合稽古、そしてパーティでも大変御世話になりました。また、中央大学剣道部のチームワークの良さも強く感じました。一人一人がお互いを尊重し、学び合うことのできる、まるで家族のような最高の部であると思います。

日本一という忘れ物を取りに行くために、この遠征で学んだことを糧に努力していきたいと思います。

 最後になりましたが、この遠征のために様々な準備をしてくださった方先輩、旅行会社の生島さん、そして台湾の方々にお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。

平成20年 台湾遠征に同行して(記念誌原稿より)

100周年を祝して発行される記念誌に、続々と寄稿をいただいておりますが(一覧はこちら)、11月まで非公開にしておくのももったいないため、少しづつ、このHPでもご紹介したいと思います。まだ作成中の先輩方は、参考にしていただけると幸いです。

今回は、井上先輩(平成6年卒)が、今年の3月に、学生の台湾遠征に同行された際の様子を綴ってくださったものをご紹介します。実際の記念誌には、学生さんの書いてくれた文章と共に掲載予定です。

なお、高内先輩(平成18年卒)も、学生時代の台湾遠征について書いてくださいましたが、こちらは超長文の爆笑原稿に仕上がっています。
記念誌で発表しますので、心当たりのある先輩は、お楽しみに。

「台湾遠征について、俺も書きたい!」という先輩は、是非、ご連絡ください。

<メールでの連絡はこちら・携帯可>
chuo_kendo@infoseek.jp 高槻宛(平成元年卒)
__________________________________

平成20年 剣道部台湾遠征に同行して   井上圭二(平成6年卒)

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 3月5日夜10時、松山発、福岡・小倉行きフェリーに乗った。
 目指すは『台湾』、しかも福岡経由の長い旅のはじまりである。

 1ヶ月程前、同期の山下忠典から「台湾行けへんか?」という連絡があった。
よくよく聞いてみると、山下が声掛けした長崎の白石政雄先輩曰く「山下が行くなら…」 当の山下曰く「圭二(私)が行くなら…」と…。なんか、ややこしいけど、要は、私が行けば3人参加、行かなければ3人とも不参加となるらしい。
家のローンや車検で悩んでいたので、恐る恐る嫁さんに相談したところ、
「数少ない仲間なんやから、思いっきり楽しんでおいで!」
とありがたいお言葉をご頂戴賜り、台湾行きが即決された。

 ・・・とはいえ、、、、、

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平成2年 新人戦優勝

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、平成2年の5月に新人戦で優勝したときの写真です。そう、この年までは新人戦は5月に開催されていました(今は全日本の後なので、秋、というか、冬)。
なぜか道場にこの優勝時の記念写真がなく、これは貴重な1枚となります。

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  後ろ 2人  井上(1年) 北原(2年)
  中段 4人  馬渡(1年) 竹本(2年) 山口(2年) 尾原(2年)
  前段 3人  白石(2年) 佐村(2年) 山下(1年)

これから2ヵ月後、7月の関東学生選手権で、この写真に写っている山下忠典先輩が優勝。その後も、二年次、四年次で優勝し、在学中、三回も関東を制したのでした。
(ちなみに唯一優勝を逃した三年時に、全日本個人で優勝されました)

随所為主

随所為主 -所に随って、主と為る-
 どんな苦しい逆境に遭っても何とかそれを打開して常に優位に立つ、
 それには不断の心身の鍛錬をしなければならない
 (出所:平成元年九月発行 『斌徳』 第四号 掲載の、故高木部長挨拶文より)

4月5日に津村部長にお会いした時に、
20年前の全日本優勝の後で、故高木部長が「随所為主」という言葉を書いた、というお話をお伺いしました。うなずきながら聞いていたわたしですが、実はすっかり忘れていて、『あれ、どこに書いたんだろ』と思っているうちに、次の話題に移りました。

その後、岡山の実家に帰省する機会があり、玄関を入ってふと見ると、
な、な、なんと、「随所為主」の色紙が! 思わず撮影。

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平成元年の、我々の代のひとりひとりに、故高木部長が書いてくださった色紙でした。
どうやら母がこの20年間大切にしていたようです。大きなクリアファイルに入れておいたお蔭か、変色もせず、20年前のあの時のまま。そうそう、最後の送別会か何かでいただいたような記憶も(いまさら感激)。
それにしてもわたしったら、20年間、まったく気が付かないとはね…(呆)
津村部長に見せようと、持ち帰ろうとしたのですが、母が「家宝だから」と言って、持ち出しを許可してくれませんでした。

それからしばらくして20年前の「斌徳」を何気なく見ていると、また「随所為主」が目に飛び込んできました。それが冒頭に書いた、故高木部長の挨拶文の中の言葉です。これはもちろん、いまや一部で伝説となった「奇跡の連続二本勝ち」 を示しての言葉ですが、当時は意味がよく分からなかったような、いや、きっと、分かったようなフリをして色紙を受け取ってのでしょう。

高木先生。
わたしも、社会人になって20年経ちました。
そして、やっと、この言葉の意味が分かるような齢になったような、気がします。
そのタイミングで、いろんな偶然が重なって、この言葉に再開することができたのは、高木先生のお引き合わせでしょうか。
これからは、この言葉を胸に刻んで、心身の鍛錬に努めます。

<補足>
「随所為主」は、20年前の優勝祝勝会で配布された手ぬぐいにも書かれています。
お手元にお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
記念誌では、今までの手ぬぐいの写真も掲載予定です。どうぞお楽しみに。

昭和18年中日明三大学定期戦

4月20日(日)に開催された日中明三大学定期戦で、中大が大勝したと聞き
(詳細は、剣道部のHPに掲載予定です。少々お待ち下さい)
なにか、日中明の記録がないかな…と探してみたら、ありました。

2006年の夏に、金子政明先輩(昭和18年卒)よりお借りした写真です。
金子先輩の記憶によると、昭和18年秋。12月の学徒出陣を控えた最後の試合。
二列目は当日の審判団と来賓の先生方で、左から5人目が故北島辰二師範。
後ろから二列目の右から7人目は、故須郷智先生。
この時も、中大の大勝だったそうで、金子先輩は前列左から2人目↓
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なお、角栄次郎先輩(昭和19年卒)にお借りした翌昭和19年の4月の写真
かあります。角先輩は前列右から2人目↓
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金子先輩から、この時代を振り返っての寄稿をいただいておりますので、
ここで紹介させていただきます。これらの写真の先輩の何名かは、
二度と中大の門をくぐることはありませんでした。
もう一度中大で剣道をしたいと願いつつ、願い叶わなかった先輩がいたこと、
そしてこの時代の先輩方がいて下さったからこそ、今の剣道部があるのだと
いうことを、忘れないようにしたいと思います。
________________________________

金子政明(昭和18年9月専門部法学科卒業) 

専門部剣士列伝余禄

太平洋戦争が勃発した昭和16年から17年そして18年の学徒出陣を
経て19年に至る当時の鮮明な記憶の抜粋である。

昭和16年度は鈴木英太郎先輩四段。
生まれは東京市本所石原町、出身校は全国に名声を馳せた巣鴨商業
出身で主将
90K余の体躯で身のこなし、剣捌きは抜群 試合巧者で俊才、輝かしい
剣暦の武者も学部在学中に志半ばで病死、黄泉(こうせん)の剣客となった。

昭和17年度は菊池信弘先輩四段で主将
茨城県染和田村出身、村長の息子
水戸の東武館で修行した逸材、流派は北辰一刀流、独特の茨木訛(なまり)、
気風(きっぷ)のよさ斗酒なお辞せず飄飄とした風貌、後輩の面倒をよく
みた先輩である。

昭和18年度松重祥治先輩四段で主将
山口県立柳井中学出身 国鉄の機関士の息子 性格は豪放磊落
名は体を表わし祥は吉祥 治は、なおしおさめる、快男子
学徒出陣で海軍航空隊に入隊、終戦時は海軍中尉、鹿児島県鹿屋の
特攻基地で沖縄出撃寸前であったとの風聞、
その後消息不明。

昭和19年は角栄次郎先輩で主将
人物評を述べるに当って筆者の独断と浅見であるが副将の二人に触れ
なければ意義がないと思う。

副将は鹿児島県都城出身で若松信夫
(註)剣友会会員名簿に掲載の昭和56年卒の愛媛県伊予郡双海町
出身の若松信夫先輩とは同姓同名であるが別人であると思う。

他の一人は、千葉商業出身 小柴勲

この三人は俗称三羽烏、三者三様の太刀捌き甲たり難く乙たり難し、
何れ劣らぬ美男剣士。テレビのない時代であったが若松信夫先輩、
小柴勲先輩も映画スターか、タレントにしたい好男子である。
三人にふさわしい当時の俗謡がある。

 腰の軍刀にすがりつき
 つれてゆきやんせ戦場え
 つれてゆくのはやすけれど
 女は乗せない戦闘機
 女乗せない戦闘機なら
 みどりの黒髪切りおとし
 軍服姿に身をやつし
 ついていきますどこまでも

筆者は 三人と地下の道場で稽古に明け暮れたことが
半世紀をすぎた今日でも 忘れられない青春の想い出として 
消え去ることはない。

(2006年7月記) 

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戦前の風呂場にて

部長対談(すし政@南平)

4月5日(土)。寮バスの上にも花びらが舞い降りる、絶好の花見日和。

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3年前の同じ時期、津村部長のお見舞いのために、同期で大学に集合したことを思い出します。部長に会う前の、あの時の桜は、私たちの目にはあまりきれいには写りませんでした。しかし今日の桜は最高の桜、忘れられない桜となりました。
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この日、平成元年卒業組の依頼により「津村部長とこの20年を語る」というテーマで座談会を開催することができました。
幸運にも、この日、出稽古に来場されていた金田先輩(昭和61年卒)と中山先輩(昭和62年卒:トヨタ自動車)、そして北原監督、上村助監督にもご同席いただき、過去4回の全日本優勝経験者が揃うという好機に、南平の「すし政」で長時間のロングインタビューとなりました。

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20年経って初めてできる話も多く、最初から最後まで大爆笑の連続となりました。
故中倉師範と故高木部長の思い出話、
合宿地の変遷理由、
20年前の、曾根・千葉の奇跡の連続二本勝ち (スコアはこちら)
寮での
「コテコテコテコテ~~~ッ 俺の小手だぁ~~っ!」(by K)
「どっちの小手でもええやろ! 廊下でやるなぁ~うるさい(怒)!」(by M.Nakayama)
…騒動など、楽しいながらも、時々しんみりとするひとときとなりました。

中大剣道部で良かった。

今日の、この会が、自分の20年を振り返るきっかけにもなりました。
中山先輩に「おばさん」と言われてガックリでしたが(議事録からは削除)、
「おばさん」もかけがえのない4年間に感謝する気持ちを新たにした、一日でした。

なおこの座談会の様子は100周年の記念誌で紹介されます。

参加者:津村部長、金田先輩、中山先輩
     尾方、渡辺、鷹巣、西川、高槻(平成元年組 5名)
ゲスト:北原監督、上村助監督
     

平成4年 全日本優勝(大阪)

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、優勝シリーズ第三弾。
昭和63年の優勝の四年後、平成4年(1992年)10月11日(日)、三連覇を狙っていた筑波大学を破り、全日本で11回目の優勝となった直後の一枚をご紹介します。
故中倉師範、故高木部長、津村部長(当時監督)、北原監督(当時2年)の4名がそろった写真です。

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前列左から中尾先輩(63年卒・当時コーチ)、川村先輩(52年卒・当時コーチ)、
轟木先輩(48年卒・当時助監督)、故中倉師範、故高木部長、浅田先輩(1年)、
北原監督(2年)
後列左から井上先輩(3年)、山口先輩(4年・主務)、深川先輩(2年)、
馬渡先輩(3年)、白石先輩(4年)、山下先輩(3年)、津村部長(当時監督)、
北原先輩(4年・主将)、尾原先輩(4年・副主将)

故中倉師範と故高木部長(当時、中央大学総長)の笑顔が印象的です。
奇しくも中倉師範は平成12年2月9日に、高木部長は翌10日に、急逝されました。

(昨年開催された、故中倉清師範の7年祭追悼稽古会並びに偲ぶ会の様子はこちら)

なお、林信雄先輩(40年卒)と土田剛規先輩(53年卒)が故中倉師範の思い出を、萬歳憲重先輩(44年卒)が故高木部長の思い出を、記念誌の原稿に綴ってくださいました。記念誌で発表させていただきますので、どうぞお楽しみに。
また、故中倉師範や故高木部長との思い出をお持ちの先輩で、記念誌に文章をお寄せいただける先輩がいらっしゃたら、ぜひ、ご連絡ください。

なお、このページを制作するにあたり、山下忠典先輩(平成6年卒)にご協力いただきました。山下先輩はまた、この時の優勝について、記念誌の原稿で綴ってくださいました。こちらもどうぞお楽しみに。

昭和47年 北陸遠征

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、九鬼温臣先輩(昭和49年卒)よりご提供いただいた同期の写真です。
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左から当時3年生だった山本重樹先輩、村山良秀先輩、横川博先輩、
九鬼温臣先輩、加藤尚二先輩、納屋智巳先輩、そして津村部長(現在)。
今から36年前の昭和47年(1972年)のこと、場所は、福井駅前。
季節は、夏のようですね。

このような写真を記念誌に掲載すべく、また同期のページを制作すべく
写真や原稿を募集しております。是非、ご連絡ください。お待ちしております。

なお、このページを制作するにあたり、生地先輩(昭和52年卒)と佐村先輩(平成5年卒)にご協力いただきました。ありがとうございます。

平成6年卒同期のページ原稿(井上圭二先輩) 

100周年の式典に向けて、現在【記念誌】を制作中です。

このHPでご紹介する写真は【記念誌】に掲載されるものの一部に過ぎません。

また「同期のページ」というものがあり、同期の皆さんの写真と文章で構成されます。
このHPを読んで、ひとりでも多くの先輩から「同期のページ」用の写真や文章をご提供いただけますよう、願っております。

「同期のページ」用の写真や文章に関してのお問い合わせはこちらまで

「同期のページ」の文章の一例として、平成6年卒の井上圭二先輩が書いてくださったものを紹介します。井上先輩は愛媛の新田高校出身で、平成2年卒の井上隆二先輩の弟。この原稿は一昨年の10月に書いてくださいました。この爆笑原稿を記念誌発行まで保留しておくのはあまりにも惜しく、全文を紹介させていただきます。

なお【記念誌】にはこのような名文・迷文・珍文(おっと失礼)が沢山掲載されます。

先輩方にお願いしております寄附金(一口2万円)にご協力いただけると、11月1日の式典は無料でご参加いただけ、また【記念誌】も贈呈いたしますので、まだ寄附金にご協力いただいていない先輩は、是非、ご協力ください。

寄附金の振込先・振込用紙の送付依頼、その他、お問い合わせはこちらまで

なお「同期のページ」の文章量は年代によって違いますので、井上先輩を基準にしていただく必要はございません。短文でも大歓迎ですので、是非、お寄せください

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 4年間を振り返る(平成6年卒 井上圭二) 

 大人への一歩手前、4年間という貴重な時間を過ごした我が剣道部が、今回大きな節目を迎えた。軽い気持ちで執筆依頼を受けた私ではあるが、いざ書こうとすると同期生の顔が次々と現れ、好き勝手なことを言っている。しかし、正直なところ、一人一人の行動を記憶しているわけではないので、そこは適当にかい摘んで紹介できればと思っている。大げさな表現も多々あると思うが、お許しをいただきたい。

 さて、何から書こうかといきなり悩んでいるが、とりあえず、剣道の都合、頭脳の都合など様々な都合が重なり合って、平成2年春、我々同期生は、たまたま18名で形成された。そして、同期生を兄弟に例えたとき、長男である主将は、インターハイを制し鼻息荒く参上した山下忠典であり、大学タイトルをも総なめにした、あの京都の名店「ふみ坊」の三男である。
 当然、彼は中大の看板であり、同期生の我々にとっても誇りであるが、

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昭和46年 高野山合宿

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、九鬼温臣先輩(昭和49年卒)よりご提供いただいた写真です。
昭和46年(1971年)の夏、高野山合宿での一シーンです。

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後ろ左から、部旗(?)を持った津村監督(当時)、故高木部長、
澤近先輩(4年)、佐々木了三先輩(3年)
前左から九鬼先輩(2年)、小林先輩(1年?)、木戸達爾先輩(1年) 

これは、団体戦をするためにチームを組んだ時の写真で、
木戸先輩がお持ちのチームの旗には「剣go」(…つまり剣豪か?)と書かれています。
各チームで写真撮影をしたそうですが、他チームの先輩方、この時の写真をお持ちではないでしょうか? この合宿でのエピソードなど、是非、お寄せください。

このような写真を記念誌に掲載すべく、また同期のページを制作すべく
写真や原稿を募集しております。是非、ご連絡ください。お待ちしております。

なお、このページを制作するにあたり、澤近先輩(昭和47年卒)と佐村先輩(平成5年卒)にご協力いただきました。ありがとうございます。


昭和63年 全日本優勝直後の祝勝会(大阪にて)

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

今回は、優勝シリーズ第二弾と称して、前の記事より三年後、
昭和63年(1988年)10月23日(日)、全日本で10回目の優勝となった直後の
祝勝会での一枚をご紹介します。ちょうど20年前(80周年)の写真です。

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右は上西先輩(昭和45年卒・当時助監督)。
神田(上:現在 自営業)と高橋(左:現 秋田銀行)と、
おそらくエールの際にネクタイをとった渡辺(中央下:現 損保ジャパン)。
女性が高槻。上西先輩以外は4年、最後の全日本でした。

≪決勝戦≫
(尾方が関西学生選手権者を撃破!優勝決定後の千葉は涙で相手が見えなかったらしい?)
中央大    3 - 2 大阪体育大
三木(3年)  メ -     山崎
高井田(4年)  -  メ  佐々木
井上(2年)  メ -    熊
尾方(4年)  メコ -    友弘 
曾根(2年)  コ -  メ  濱田
神田(4年)  メ -  メ  浅見
千葉(4年)    - メメ 赤倉

≪準決勝≫
(一部で伝説となっている 曾根・千葉の奇跡の連続二本勝ち が、この試合)
中央大    2 - 2 明治大
高井田(4年)  - メコ  大竹
三木(3年)    -  コ  下西
重原(3年)     ×    上田
井上(2年)   メ -  コ 松元 
神田(4年)     ×    平松
曾根(2年)  メメ -    柳
千葉(4年)  メド -   相良

※他に榊原(3年)が選手登録

新人戦、関東・全日本の優勝大会と、
年間三大タイトルを手中にしたのは中大初の快挙。
「メンバーも近年になく充実していたし、目標は優勝だった」 と語る
中大の津村監督も、優勝が決まると選手とともに感激の涙をこぼした。

(「剣道日本」1988年12月号、P124より引用)

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昭和60年 全日本優勝の祝勝会

100周年の式典に向けて、
先輩方からお借りした、懐かしい、また貴重な写真を少しづつご紹介していきます。

まず、昭和60年に全日本で優勝した後の祝勝会での一枚。
たぶん、昭和60年(1985年)の12月頃ではなかったかと思うのですが、
当時4年の金田孝行先輩(写真後ろ左)と新村浩志先輩(写真後ろ右)。
そして、当時女性三人しかいなかった内の、
2年石井和美先輩(旧姓:写真前右)と1年高槻(写真前左)。

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金田孝行先輩は、中大卒業後、埼玉県警勤務、全日本剣道選手権大会に
4度も出場され、現在は警察本部警備部機動隊勤務で、剣道部監督として
活躍されています。
新村浩志先輩は、中大卒業後、地元の鹿児島刑務所に勤務。今は仙台に移り
住まれ、東北矯正管区にて剣道教官として活躍中です。
一昨年の全日本剣道七段選手権大会(七段戦)では、ベスト8に入られました。
詳細は、平成19年1月号の剣道日本でも紹介されています。
(残念ながらバックナンバーは在庫切れのようです)

お二人とも、現在、教士七段でいらっしゃいます。

(以上、プロフィールはお二人の同期の、光安先輩にご協力いただきました)

正式な日付をご存知の先輩、あるいは、当日のエピソードをお持ちの先輩は
是非、コメントでご連絡ください。金田先輩と新村先輩へのメール転送も
うけたまわります。
(コメントはすぐにHPに表示されないようになっています。なにとぞご容赦願います)

なお、この年は、3年の中山睦友先輩(現 トヨタ自動車)が全日本学生選手権で優勝され、また関東新人戦で優勝を飾った年でもありました。

このような写真を記念誌に掲載すべく、また同期のページを制作すべく
写真や原稿を募集しております。是非、ご連絡ください。お待ちしております。