中央大学剣友会

中央大学剣友会
 

« 去って酬酢の中にあり | メイン | 関西支部総会のご案内 »

昭和53年全日本優勝

ボツ写真特集…ではなく、
これは100周年記念誌(2008年発行)に掲載された写真です。
7回目の全日本優勝を飾った、昭和53年10月22日の記念写真。しかし…
img013s.JPG
(写真提供:剣道時代)

  ↑これです、これ。

この時の優勝を記録した写真がなぜかほとんど発掘できず
これも雑誌社のご厚意により提供いただいたものです。
写真の先輩方、今も面影があるのでお分かりかと思いますが…

第26回優勝メンバー
渡部憲雄、遠藤寛弘、西郷哲哉、小松寛、禰宜田昌彦(四年)
清水新二、木下俊一(三年)、福崎基夫(二年)、穂園元孝(一年) (敬称略)

なお、この優勝を記念して、故高木部長書による
かの有名な「木鶏」(ぼっけい)の面タオルが作成されました。
________________________________

木鶏に似たり     荘子(達生篇)

見たところ、木でつくった鶏のようだ。
敵意をもたないものに対しては、これに反抗する敵はない。
無心で他に対することが、万事を処理し、困難に打ち勝つ最上の方法で
あることのたとえ。

紀省子という男が王のために闘鶏を育てていた。
闘鶏を訓練し始めて十日ののち、王が紀省子にもうだいじょうぶか、ときいた。
紀省子は、まだ鶏は虚勢をはっているからだめだ、という。
また十日してきくと、まだ相手の動きに心を動かすところがあるからだめだ、という。
さらに十日たってきくと、もうよろしいでしょう、と答えた。
そのときの闘鶏のようすが、ちょうど木鶏のようであった。
これを見てどんな相手でもこれと闘う気力を失い、逃げ出してしまった、
というのである。

斌徳第三号(昭和54年発行)より
________________________________

横綱の双葉山が69連勝の後に破れたとき
「未だ木鶏たりえず」と打電したというのは伝説的に語られているそうです。
そうか、この言葉、故高木部長にとっては特別な言葉だったのですね。

偶然ここに、幼き日の故高木部長を見つけました。
立浪部屋の歴史


歿年月日である、平成12年の2月10日のことはよく覚えています。
もう10年、経ちました。

コメント

この写真の決勝戦は早稲田と接戦で、ネギタ先輩のドウが勝負をきめた貴重なポイントでした。関東大会でも優勝候補であったのですが、準決勝で筑波に敗れ3位でした。ちなみに、その関東大会の時は私(夏目)が学連常任幹事でありながら選手として出場したのです。全日本ではネギタ先輩が選手となり、他のメンバーはかわっていません。
高木先生のお墓には、2年前の11月の審査前に、近藤(足立学園)とこでの稽古の後、渡部先輩とお参りをさせてもらいました。皆さんも上京のおりにはお参りしましょう。

投稿者 夏目 康弘 : 2010年3月13日 13:27